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【牧羊一念】正しい信仰の人格者

  • 조회 2211
  • 2019.10.25 14:36
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【牧羊一念】正しい信仰の人格者

 

今日、熱心さはあるが信仰のない信徒が多いです。

信仰があるとは、神の御言葉通りに生きていくことを意味します。神の御言葉通りに現すると信じる者が、神の御言葉にうことができます。神の御言葉が「あ」と言えば「あ」、「お」と言えば「お」と言ってわなければなりません。聖書に安息日を聖なる日とせよ、と言われたのでしっかり守らなければなりません。ところが今日、主日を聖なる日とせず、自分の思いのままに生きながら教会だけ熱心に通っている人が多いです。このような人は勝手気ままな人であり、福音を肉体の機とする者なのです。神の御言葉通り裁きの日は必ずやってきます。その日は誰も避けることができません。

 

信仰生活は‘母胎信仰-まれるからおさんのおられてきたこと’を誇ったり、何代も信じてきたことを誇ったり、または殉者の家柄だと自慢したりするものではありません。殉者を100人生んだ家系でも、彼らの信仰では一人の子孫も救われません。私たちは各自福音によって生まれわり神の前に進み出て、義に飢え渇く自分を、イエスの供給されるいのちによってたさなければなりません。

 

十人のらい病人が主のみにより癒されたが、九人は感謝しないままどこかへ立ち去って一人だけがイエスに感謝しにました(ルカ171219)。彼は、自分を癒してくださった主に感謝しないままで家にることができませんでした。私たちもこのようにんでくださった主の前に感謝しないで立ち去ることができない人にならなければなりません。この人がまさに正しい信仰の人格者なのです。

 

らい病人が癒されたとき、家にってどれほど誇らしかったでしょうか。清くなった自分の姿を家族や隣人に見てもらいたくてたまらなかったでしょう。ところが、十人中一人だけが病を癒してくださった主に感謝しにったわけです。自分を治しんでくださった主に、まず見せて感謝したかったのです。私たちはどんなきよりも主のきを優先する人にならなければなりません。


 


/ ユンソクジョン担任牧師

教会新聞<640号>の記事です。

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