ある人は、イエスがお金をくださる方、病気をいやしてくれる方、あるいは漠然と助けを
与える神として理解している。しかし、真実にイエスを信じる人は、自分とイエスが
どのような関係なのか、イエスが人間に何を与えようとされるのか、イエスがどのような
絶対的な実権をお持ちなのかを明らかに知っている。
信仰は、イエスを王として認める分量である。イエスは、ご自分を王と認める者に信仰を
プレゼントしてくださり、その人にも王の実権を与えてくださる。何の信仰もないのに、
病人のために祈るとしたら、いやされるはずがない。また、イエスを無視する者は、
いくら祈っても、神様が答えてくださらない。イエスはすべての病を治め、癒される能力の
王と、まことに認める人が、祈るとき病んでいる者が癒される。
「あなたがたが私にとどまり、私の言葉があなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたの
ほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」
(新改訳、ヨハネ15:7)という御言葉は、イエスを王として認める人に実際に叶えられます。
ですから、主をどれほど尊重し、頼り、信じて認めるのかにより、私たちの信仰の分量が
決まる。
イエスを信じる人と信じない人の違いは、神を王として仕えた人と神を知らない人の差だ。
これは、永遠の天国なのか、永遠の地獄なのかの問題と直結される。イエス·キリストを
ただナザレ生まれの大工の息子だと無視した人々は皆、自分の罪のゆえに滅びた。
しかし、マタイのように、イエス·キリストを王として神の御子と認めた者はみな救われた。
私だちは何があっても、王であるイエス·キリストの実権を認め、王の実権を私も用いられる
信仰の人となりましょう。
/ユン·ソクジョン担任牧師
教会新聞389号(2014-06-14)から抜き書きしました。