私の信仰生活を振り返ってみると「その時こうしたなら良かったのに…」と、残念に
思われる時が多くあります。変わらない信仰生活を維持することができる秘訣の一つは、
少しでも間違った信仰生活の物足りなさに、悩まされて辛くて耐えられないことです。
「私は、どうしてこのように生きて来たか」と反省しながら、神の御前に正しく行わなかった
ことを悔やんで苦しんでいる人こそが、変化を引き出すほどの真実な悔い改めをする
ことができる。過去を振り返って悔やんでいる人だけが、今後、同じことが起こった時、
昔の足りなかったことよりもはるかに上手に成し遂げられる。
私たちは信仰生活のマジノ線がどこなのか点検しなければならない。私の霊の願いの
ために熱心に信仰生活しながらも、ある瞬間、肉身の欲に従って墜落してしまうことが多い。
「このままでは、これではいけないのに…」と思いながらも、いつの間にかその席を蹴飛ば
して上がる力がないため、ますます落ちる。結局、信仰生活が底まで落ちて行くと「どうせ、
みなそう生きるの…」と諦めてしまう。
私たちが御言葉を聞いて悟り、悔い改めて祈る理由は、より低い信仰生活の状態に落ち
ないためだ。自分の霊的な状態が下降することを感じるたびに、礼拝の時の御言葉を
聞いて祈りながら再び上昇する力を供給しなければならない。
もし、私たちが神の御前に責められることをたくさんして、神の裁きの御座の前に立つと
すれば、とても後悔する。しかし、その時に後悔しても意味がない。人生が終わって霊的
世界が始まったとき、自分をどれくらい幸せにすることができるかは、非常に重要である。
その日に幸せな主人公になるために一日一日霊的な緊張を緩めてはならない。
/ユン·ソクジョン担任牧師
教会新聞390号(2014-06-21)から抜き書きしました。