この世で一番幸せな人は神に用いられる人です。病人に手を置き、祈り、病気が癒され、
悪霊に捕らわれた者のために祈ると、悪霊から解放される聖霊の力が現れる。そのとき、
私の肉体はエネルギーを使い果たしたゆえに、耐えられないほどに疲れ果ててくたくたに
なるが、心の底にはほかの人が知らない喜びと感謝で満ち溢れる。
自分自信をほんの少しも惜しまず、神が用いられるようにささげるなら、神はその人を喜んで
用いられる。自分を惜しむ人は神が自由に用いることができない。主の御心のままに生きると
決心してからも、実際に厳しい環境に直面する時、心が変わる人は神が自由に用いられない。
自分のやりたいことだけをやるんだと、神の働きをあれこれと選ぶ人も同じだ。
神から制限なく用いられるようになるためには、たとえ自分が殺されることに用いられても
それに従順しなければならない。
聖書の使徒パウロの生涯は自分を神の御前に完全にささげたことがわかります。
自分が自分の物だと主張した所は聖書のどこにもない。自分が持っているすべてのものを
神にささげて、神のみこころのままに生きるのに専念したので、「自分が生きるにしても、
死ぬにしても、私たちは主のものです」(新改訳、ローマ14:8)と告白したのだ。
神が用いられている人は全てのことを乗り越えて神が用いられるのに、不便なところが
ないように自分をすなおにささげなければならない。神が自由に使える者と認められる時、
神はあなたを制限なく用いられるだろう。私が神が用いられるのにふさわしい器となれば、
神は必ず用いられる。私は資格だけを備えておいたらいいのだ。
自分の価値を自ら高く評価しないで、神から高く評価されるように備えなければならない。
神はそのように備えられた人を用いられる。
/ユン・ソクジョン担任牧師
教会新聞364号(2013-12-07)から抜き書きしました。