使徒パウロがコリントの教会に送った手紙の中で、信仰生活している群れを
さし、“聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた人たちへ”
と“イエス・キリストの御名を至る所で呼び求めているすべての人々”に区別した
のを見ることができる。
「コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る
所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスに
あって聖なるものとされた方々へ。主は私たちの主であるとともに、そのすべての
人々の主です」(新改訳、第1コリント1:2)。
“聖徒”ということばは、聖なる生活を生きる信仰者という意味である。信仰生活を
よくするべきだということは、聖徒と呼ばれるほどの、聖なる清さを身につけることが
できるレベルに上がらなければならないということだ。そのためには勝たなければ
ならない。
マタイの福音書24章13節に、イエスが「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます」と
言われたことも“勝ちなさい”ということである。黙示録に出てくる小アジアにある七つの
教会にも「勝つためには御霊が教会に言われることを聞きなさい」と記されている。
聖書はこのように、信仰により最後まで勝って天国にのぼった聖徒たちに対して
正しい行いに光り輝くきよい麻布の衣を着ることを許された(黙示録19:8)と、
イエスのあかしと神のことばのゆえに首をはねられた人たち(黙示録20:4)と
言われた。
私たちが信仰生活をよくしようと努力し励むことは、まずは私のために血を流して
死なれ、救ってくださった主の恵みに感謝しているのです。天の御国へ行くと、
信仰生活をよくした人と、そうでない人があまりにも大きな違いがあることを知って
いるし、私の魂の時に受ける冠のためである。また、主が天から降臨の際に、
第一の復活にあずかるためである。
主が来られる日があまり残っていないと多くの人が口をそろえて言う。私たちは、
聖徒として、日々、神を愛する愛の絶頂で信仰生活をして、空中での婚宴に
あずかるその日を準備しなければならない。
/ユン・ソクジョン担任牧師
教会新聞393号(2014-07-12)から抜き書きしました。