본문

[牧羊一念] 仕える内に豊かになる生命

  • 조회 4886
  • 2014.11.11 12:35
  • 문서주소 - http://jpn.yonsei.or.kr/bbs/board.php?bo_table=The_world_now&wr_id=41

イエスがこの世にられ、ご自分の肉体を差し出し、鞭に打たれることによって

私たち人間の病気がいやされた。このように主は私たちに仕えてくださった。

今も、イエスに出人は誰でもどんな不治の病でもいやされる。

イエスにあって仕える内にはこのように生命が豊かになる。

 

聖書で「仕える」ということばは、世の人たちのように博愛主義のこころを持って、

人情、愛情、感情によって仕えるという意味ではない。主がご自分の命を贖いの

代価としてささげてまで、人間に仕えてくださったことのゆえに、人類が救われた

ように、魂を生かすことが「仕える」ということである。

 

教会で、聖徒たちがイエスのみこころを抱いて救霊の情熱を持って仕えるなら、

多くの魂が救われる。仕えた後に、必ず生かされる働きがある

が監督者として立てた牧師は、講壇で一人でも多く救われて、神の国に

入ることを願うイエスのみこころを抱いて説教し、聖徒に真実に仕える。

 

仕えられた聖徒は、神のいのちのみことばによって、魂が救われたに感謝し、

霊に燃える熱い使命を持って任された職分を務める時、自然に魂を救おうとする

イエスのみこころが彼らにも現れる。

 

農夫が種をまいた後に肥料をえ、手入れする目的は、秋になると豊かな実を

得るためだ。教会で仕える目的も、多くの魂を制限なく生かすためだ。ですから、

仕える人が多くいる教会はリバイバルする。

 

神は救霊の情熱を持って仕える教会、生かす教会に多くの魂をゆだねられる。

教会で問題が起こったときに仕えない聖徒はすべて他の人のせいにし、その人を

非難するのに忙しい。主が十字架を背負うとき、人類が生かされたように、教会

聖徒が十字架を背負って主のように仕えるとき、数多くの魂が救われる。

そのような教会が、まさしく生命の躍動する教会である

 


/
ユンソクジョン担任牧師

教会新聞398(2014-08-16)から抜き書きしました。

추천 0

Print