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[牧羊一念] 聖霊がくださる自信

  • 조회 2795
  • 2015.03.21 19:00
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自分にプライドがある人は、いろんな問題にぶつかると、耐え切れず嫌になり、放棄してしまいます。しかし、御霊によって自信っているは、困難なことが起きても辛くはありません。ぶつかり、つく自分というものが存在しないのです。ただ、の働きをすべき自分が存在するだけです。


ですから、霊の感動を受けた考えは、その考えがいくらきくても虚栄ではありません。それは、全能なる神がなさったことだからです。一方、人間えから出たものは、どんなにさなことでも虚栄によることとなります。主の働き自分という根性、性質介入すると限界があらわれるが、自分という限界、性質退いて、かれると、それは無限能力めるので、決して虚栄ではありません


アブラハムは、「まれ郷であるれ、わたしがきなさい。」(創世記121)というのみことばに従いました人間的ると、アブラハムがまれ郷である家から離れることはです。75になるまで、カルデヤのウルで生活基盤を不足なくすべてき、せに暮らしていたのに、のみことば一言であてもなくそこを離れることは、大きです。


それでもアブラハムは、そのみことばに従順しましたが去れと言われた瞬間に、カルデヤのウルに繋がっていた心こそぎ引きき、去って行ったのです。このようなは、まさにめる信仰きようとする自分を完全げ捨てたときに生じるものです。したがって、たちも、対的権威が私を通してれ、みことば一言一言にひたすら従順することができるように求めなければなりません。


こので生きるとき、生涯自信に満ちて生きるべきです。驕りによる自信ではなく、私を聖感動と能力によって尊く用いられることに期待し、に、自信に満ちているべきです




ユンソクジョン担任牧師

教会新聞4242015-02-28)から抜粋しました。


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