イスラエルの民がエジプトから出るとき、神に栄光を帰し喜びました。ところが、紅海の前についてすぐ、感謝が恨みへと変わりました。そして紅海を渡る時に、神への栄光はまた天をも突きぬけるほどになりました。ところが、再び空腹を感じた瞬間、恨みへと変わりました。天からマナが降ってきたときは、神に対する感謝の栄光があふれそうだったのに、しばらくすると、のどが渇いて耐えられず、感謝がまた恨みに変わりました。
岩を打って水が出てくるとき、神への感謝と栄光は天をも突きぬけるほどでしたが、しばらくして肉が食べたいという思いが浮かび、もう恨みに変わりました。ウズラの群れが飛んできて、多くの人が肉を食べるときにも、神への栄光が天を突きぬけるほどでした。ところが、しばらくして偶像を作って崇拝し、神を金の子牛のような獣の形状へと変えてしまいました。結局、神を恨み、罪ばかり犯している彼らを神は捨てました。カナンの地には、ヨシュアとカレブと神を愛してみことばを守った者だけが入り、残りは荒野で全て滅んでしまったのです。
信仰生活をしているといっても、堕落の極みは、祈らず、忠実でなく、感謝せず、恨んでばかりいることです。祈らなければ、感謝しないようになり、感謝しないので忠誠しないようになり、不平、不満だらけの日常生活になります。このように堕落しているにもかかわらず、本人は堕落してしまったことすらわかりません。
愛する聖徒たちよ、私たちは目を覚まさなければなりません。祈らせないように、忠誠しないように、感謝しないようにする敵と戦って、かならず勝たなければなりません。祈りたい心に燃え、忠誠したいという心に燃え、感謝したい心に燃え、伝道したいという心に燃えて、すべてを行うときに勝利します。打ち勝つ唯一の方法は、聖霊に満たされるしかありません。
ユン・ソクジョン担任牧師
教会新聞442号(2015-07-11)より、抜粋しました。