본문

【牧羊一念】神に用いられる喜び

  • 조회 3288
  • 2016.04.13 22:42
  • 문서주소 - http://jpn.yonsei.or.kr/bbs/board.php?bo_table=The_world_now&wr_id=84

神のしもべは、神に用いられる者であり、まことに恵まれた者です。しもべは、主人のみこころのままに尊く用いられる存在です。しもべは、自分の財産がなく、自由もありません。いのちも自分のものではありません。「主のしもべ」は、主の御前では何も持っていません。イエスが弟子たちを召されるとき、自分の所有物をすべて捨てて主に従ったようにです。

 

私が私を、「私のもの」といくら主張しても、私は「神のもの」なのです。 イエス・キリストはこの世で自分のこころのままに暮らしませんでした。ただ、父なる神が喜ばれるみこころのまま、人間のために、自分の肉体を消耗品のように 使い切るしもべとして生涯を過ごしました。


「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト·イエスのうちにも見られるものです。 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは 考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に 十字架の死にまでも従われたのです。」(ピリピ258 

 

私たちも、主が喜ばれるみこころのままに、一つの消耗品のように、神の働きのために 用いられることを望まなければなりません。どのみち私たちの人生は消耗されます。 ところで、物質、名誉、欲望のために自分の人生を消耗していいのですか。 どうせ消耗される人生なら、神の本当のみこころを成し遂げることに 尊く用いられなければなりません。

 

神に用いられたいなら、義と信仰に従うことを妨げる敵に 打ち勝たなければなりません。自分を「自分のもの」と主張する人は、神に用いられません。私たちのいのちと人生はただ「神のもの」なので、神が用いようとするとき、ためらわずに自分をさし出し、神が最も喜んで用いてくださるようにしなければなりません。

 



ユン・ソクジョン担任牧師

教会新聞467号の記事です。


추천 0

Print