【牧羊一念】賢き農夫のように
賢い農夫は春がくると畑を耕して種をまき、夏には熱心に草を取り、秋に多くの穀物を収穫します。このように霊的に賢い人は、肉体をまとい、この地に生きるあいだに霊的なものを多くまき、手入れし、たましいの時にたくさん収穫します。
私たちの肉体はただ生涯を生きる存在にすぎませんが、たましいの時のために生きるなら、それは農夫に所得をもたらす農地のようなものです。肉体の時という農地を耕さずに放置し、雑草だけが生い茂っているとしたら、それは何の役にも立たない荒れ地にすぎません。しかし、霊的な種をまいてよく育てれば、たましいの時に霊的に豊かな実を得られます。したがって、肉の時に賢く生きたか、愚かに生きたかによって、永遠のたましいの時が決まります。私たちは、賢い人となり、神が私たちの歳月にまかれたいのちの種を豊かに育てなければなりません。
神は無能な私たちの人生を有益にしてくださいます。全能なる神に完全に頼って生きる人こそ賢い人です。世の中の知恵と神の知恵は異なります。「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです」(Iコリント1:25)。人間の最高の知恵は神の愚かさにも及ばないという意味です。
「賢く生きよ」、「時を惜しめ」、この二つのことばは同じ意味を持っています。今は若くても老いはいつの間にか迫ってきます。過ぎ去った日々を振り返りながら、「私は賢く、正しく生きてきた」と、胸を張って言える人がこの世にいるでしょうか?
たましいの時に天の国にいるだろう自分の姿を思い浮かべ、喜び楽しむ人となるべきです。たましいの時に楽しむことができなければ、何の意味もありません。今こそ、神の知恵を所有しなければなりません。その中に永遠のいのちが溢れているからです。
/ユン・ソクジョン担任牧師
教会新聞500号の記事です。