【牧羊一念】神のみこころと摂理の同労者
建物は時間が経てば経つほど古くなります。寿命が尽きる前に、その建物を立てた目的どおりに熱心に使わなければなりません。私たちの人生も同様に寿命が尽きる前に、造り主が私たちに望まれることを、すべてやり遂げなければなりません。私たちに与えられたすべての歳月は、イエス・キリストの働きをやり遂げるために神が造られたので、ただ神のみこころのままに用いられるべきです。
私たちに与えられた肉体の歳月は永遠なるものではありません。歳月は止まらず、絶えず流れていきます。人間と万物は神のみこころの中で動いていて、すべてが同じ速度で走っているということです。イエスは自分の歳月の間、神が定められたみこころをすべて成し遂げました。神が私たちに与えられた歳月の中には、神が定められたみこころがあります。私たちは、神のみこころが何であるかを理解しなければなりません。
イエスは肉を着て、この世に来られ、人間を救おうとなさる神のみこころを、明らかに示しました。神のみこころは、肉を着て来られたイエスの歳月の中で明らかに示されています。このように、人のように肉を着て来られて、神のみこころ通りに間違いなく確実に成し遂げられるお方は、神の御子イエスただお一人です。
アダムの時から、イエスがこの世に来られる時まで、神のみこころは歳月というトンネルの中に埋もれていました。神が人類を救おうとなさる摂理の働きは、神の時になって、御子イエスを通して成し遂げられたのです。
イエスは十字架に釘つけ死なれ、人類の罪を赦して、罪のない証拠とし、復活された後、昇天しながら、この世に再臨すると約束されました。歳月の中で、わが主の再臨はどこまで近づいたでしょうか。終わりの日には、いたるところに、主の再臨の前兆が現れるとおっしゃられましたが、その前触れは、どこに見るでしょうか。私たちに与えられた歳月の中で、神の摂理を見出さなければなりません。そしてまた、私たちを通して神の摂理が制限なしに実現されるようにしなければなりません。
/ユン・ソクジョン牧師
教会新聞544号の記事です。