【牧羊一念】埋めてきた永遠の幸せな人生
私たちの人生は尊く素晴らしいものです。神は御言葉で私たちを造られ、そのみこころを成し遂げられるために、私たちを共に働く者としてくださいました。私たちが肉を持って生きている時間は短いのですが、私たちの魂が神と共に永遠に生きるのは永遠なるものです。なんと素晴らしいことでしょうか。
もしあなたが今日まで神から離れ、神から与えられた歳月を無駄に生きてきたのだったとしたら、それは「永遠の裁き」を埋めてきたということです。逆に、神のみこころにしたがって機会を十分に生かして生きてきたなら、「永遠の幸せ」を埋めてきたということになります。今残されている人生の日々を、永遠の魂の時を埋める、つまり準備する、最良の時としようではありませんか。
肉体がある間に、罪の下で歯ぎしりする呪いを埋めておいてはいけません。肉体がある間に、聖霊と共に死に至るまで忠実でありつつ、賞賛と冠と偉大な栄光の日を、絶えず作り、幸せを埋めておかなければなりません。
畑に雑草が多いのに農夫が心配ばかりで引き抜かなければ雑草は絶対になくなりません。雑草を直接引き抜かなければなりません。神が与えてくださった年月の中で、機会を十分に生かして、神が嫌らわれることは悔い改めて、自分の生涯を神が願われる通りに用いるべきなのです。神がこの時代に私を通してやり遂げたいと願われることが何であるかを知り、自分に与えられた歳月の中で、必ずそれをやり遂げなければなりません。
神のみこころを果たしていく日々を生きていますか、それとも肉の欲と要求のまま神から離れて生きていきますか。イエス・キリストが肉体を着て来られた歳月の中で神の働きをなさったように、私たちも、私たちに与えられた肉体の時の中で聖霊に満たされ、イエスと同じ働きをしなければなりません。私たちは皆、神からいただいた肉の時を尊く用いて、魂の収穫の時に豊かな実を刈り取ることができるよう、さらに努力すべきです。
/ユン・ソクジョン担任牧師
教会新聞549号の記事です。