【牧羊一念】 終わりの時の苦難に打ち勝つ祈り
信徒なら終わりの時が近づくほど、もっと切実に祈らなければなりません。しかし、悪魔の働きは信徒が祈って神の助けをいただくことを必死に邪魔します。終わりの時に迫ってくる苦しみに勝つためには神の助けを必要としますが、その唯一の手段は‘祈ること’です。
祈る者には、終わりの時に迫ってくる艱難と苦しみに打ち勝つ力と能力が与えられます。ですから、いつも目を覚まして祈っていた人とそうでない人では、苦難が迫るとき、信仰を守るか、それともやめるか、分かれることになります。イエスを信じる者を酷く迫害する終わりの時が来るとしても、イエスはそんな迫害と苦しみを受ける時に何を話すべきか心配しないように慰められました。
「人々があなた方を捕らえて引き渡すとき、何を話そうかと、前もって心配するのはやめなさい。ただ、そのときあなた方に与えられることを話しなさい。話すのはあなた方ではなく、聖霊です。」(マルコ13:11)
私たちに耐えきれない苦難がやってくる時に、聖霊さまは私たちの言うべきことを与えてくださり、私たちを慰めて共にいてくださる証拠を示してくださる、という御言葉です。
主の再臨が差し迫ってくる終わりのときには、死の陰の谷を歩いているように苦しみが極みに達します。その時にも災いを恐れないのは、主が私とともにおられるからです。
詩篇記者は「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」(詩23:1)と歌いました。
ですから、私たちは、主を信じ頼って心を整え身を慎しんで祈りながら、最後までその苦難を乗り越えていくべきです。主が与えられた恵みで、その苦難の峠を乗り超えると、私の敵の前で、主は私のために食事をととのえ、私たちは永遠の御国で永遠の栄光を享受しながら生きていくでしょう。
/ ユン・ソクジョン担任牧師
教会新聞<691号>の記事です。