【牧羊一念】無条件の愛
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです」(ヨハネ15:12)
神の戒めは第一も愛であり、第二も愛であります。(マタイ22:36-40)
神がいくら‘愛しなさい’とおっしゃっても、私たちが愛せない理由は、私たちの中に愛する力がないからです。
イエスは十字架刑に処せられる前夜に、ゲツセマネの園で、血の滴りのような汗で切実に祈られました。その時、一緒に行った弟子たちに、御自分のために祈ることを繰り返し頼まれました。けれども、弟子たちが眠り続けているのを見つけたイエスは、「霊は燃えても肉体は弱いです」とおっしゃってあきらめました。
弟子たちは、死ぬにしてもあなたを愛しますと、豪語しましたが、いざ主のために祈る力がありませんでした。私たちも神を愛し、隣人を愛することを願いますが、いざ愛する力がありません。むしろ、自分の足りなさを満たすために何とかして愛されようとするばかりです。
何の代価なしに愛をあたえようとする人には、敵がいません。一方、愛を受けようとばかり求める人には敵が多いです。こういう人は、自分が愛した分以上に見返りを求めるので、見返りがなければ相手を恨んだりするのです。
愛を受けようとしたが、満たされない心の部分に恨み、憎しみ、妬み、嫉みのような悪いことが入り、心を満してしまいます。これらがたまり爆発したら、‘悔しく恨めしい’心となります。悔しく恨めしいというのは、「自分は相手にこれだけしてあげたのに、なぜ相手は分かってくれないのか」ということです。
神は人間を愛するゆえに、人間に天地万物と一人息子のイエスさえもお与えくださいました。そして、御国と永遠のいのちを与えてくださいました。みことばと力も、祈りの答えという祝福も与えてくださいました。
神が私たちを愛されたように、私たちも隣人を代価なしに愛し合うべきでしょう。
/ ユン・ソクジョン担任牧師
教会新聞<745号>の記事です。