【牧羊一念】 イエスの精神に満たされた教会
私たちの教会が急成長したと言う人たちを見る度に、穴があったら入って隠れたい気持ちになります。
私たちの教会はあまり伝道しない教会だと思います。初代教会と比べて私たちの教会は本当に小さな教会なのです。私たちの教会では、伝道していて石打ちにされて殺されたことも、財産を共有する信者もいないからです。
私たちの教会の執事の誰が、初代教会の執事と似ているでしょうか。初代教会と比べた時、私たちの教会は本当にリバイバルしていない教会なのです。私はうちの教会が初代教会のようにイエスの精神に満たされることを切に願います。
イエスの精神とは、「私は打たれてもあなたがたは癒されなさい」ということであり、「私は呪われてもあなたがたは呪いから救われなさい」ということです。「私は死んだとしてもあなたがたはいのちを受けなさい」ということなのです。これがイエスの精神であり、初代教会の精神です。
イエスの精神がない教会は、口先ではイエスを呼んでいても、実際にはイエスがない教会なのです。外見は数多くの人が主の名で集まっているように見えるけど、イエスの心のない教会であり、外見はイエスをほめたたえるように見えるけど、中身はイエスの品性がない教会です。そのような教会はリバイバルできません。
私たちの教会はイエスの品性、イエスの心をもって、実際にイエスが生きておられイエスのいのち溢れる教会となることを願います。誰でも私たちの教会に来れば、イエスの香りを感じられるように、またイエスの暖かさを感じれるよう、
そしてイエスの品性に出会えることを願います。イエスの品性とイエスの心が教会内で、川の水のようにながれ、病んでいる者は癒され、呪われた者は祝福され、罪人は贖いの恵みをいただけるよう願います。
そのためには、信徒皆様がイエスの品性をもって、イエスを現わす者となるべきです。私たちは「義に飢え渇いている者」となり、自分の内側にイエスの品性でいっぱい満たすべきなのです。
/ ユン・ソクジョン担任牧師
教会新聞<744号>の記事です。