【牧羊一念】神に用いられる人
この世で最も幸せな人は、まさしく神に用いられる人です。神に用いられると、病める人に手を触れて祈れば、病が治ります。イエスの御名による力で悪霊に‘出て行け’と命じると、悪霊に縛られている者は病から解放されます。
私も、神に用いられるときが一番幸せです。信徒のために祈った後には、出ていったエネルギーにより身体は耐え切れないほど疲れ果ててしまいますが、心には人知れぬ喜びと感謝があふれます。私から力が現れたからではなく、神が私を用いてくださったことへの感謝のゆえです。
神に用いられるように自分自身を少しも惜しまずささげるなら、神はあなたを喜んでお使いになります。自分を惜しんでいては、神に存分に用いられることはできません。神の前に、すべての自分の考え、環境、肉体、富を惜しみなくささげたとき、神が自由にお使いになるのです。
パウロの人生をよくみると、自分を神に完全にささげました。自分を自分のものと主張したことはまったくありません。持てるものすべてを神にささげ、神のみこころ通りに生きることに専念しました。「生きるにしても、死ぬにしても、主のもの」と告白しています。(ローマ14:8)私たちがすべてを超越することによって、神に用いられることにためらいがないと認められるならば、神はあなたを際限なくお使いになることでしょう。
神は謙遜な人をお使いになります。謙遜な人とは、自分自身を知っている人です。どこでも学び、他者の話に耳を傾け、そこから何かを得ようとします。私たちは絶対におごってはなりません。神に用いられるにふさわしい器になっていれば、神は必ずお使いになります。ただ資格だけ備えられていればよいのです。
私たち自身がどれだけ資質を備えられたかにより、神はその分量に応じてお使いになります。3.75グラムの金にはその重さ分の価値があり、3.75グラムの銀にもその重さ分の価値があります。自分の価値をみずから高く評価せずに、神が高く評価されるように備えなければなりません。神は備えられた人をお使いになります。
/ ユン・ソクジョン担任牧師
教会新聞461号より、抜粋しました。