【牧羊一念】神が用いる者
神は謙遜な人を用いられます。しかし、多くの人が神の前であまりにたやすく自己主張をし、論争し、神に敵対しています。口では「自分が神と論争して神に敵対することなど あろうか」と言いながら、祈るべき状況にあっても事情があるので祈れないと 言い訳をするのがまさに、神の前で論争していることです。私たちが覚えておくべきことは、このような人は神に用いられないということです。
神と論争することほど愚かで無知なことはありません。神に用いられる働きのために どんな苦難にあうにしても、論争や争いを捨て、ただ柔和で謙遜に神のみこころに 従うべきです。
聖霊は神が用いられるにふさわしい者に臨まれます。聖霊は私の心と思いを敏感に 感化して感動を与えてくださいます。「感化」とは「良い影響を受けることで考えや感情を 変化させること」であり、内的変化です。「感動」は、「大きく感じ、心が動く」ということです。つまり、固く決心したという意味で、行動につながる直前の段階です。
聖霊の感化がある時、感動して行動に移す心構えで実行しなければ、聖霊に背くことに なります。私たちは聖霊が感化して感動を与えられたとおりに行動を移さなければ なりません。私たちは聖霊の知恵と知識に従わなければなりません。聖霊の知恵と知識は いのちと平安であり、人間の知識、考え、手段、方法は結局のところ死であるからです。
神と論争することが、いかに愚かで無知なことなのかを悟り、聖霊の思いに従いいのちと 平安を味わう 祝福された人にならなければなりません。肉の思いとは、もともと 不浄なものであり、聖霊に逆らうという尊大な振る舞いを招きます。肉の思いの結果は 死であるので、聖霊に従って生きる、それ以上のものはありません。
ユン・ソクジョン担任牧師
教会新聞472号の記事です。