【牧羊一念】 自分を愛する人
私が一般信徒の時、自問してみました。「神さまが私を愛し、聖霊さまが私を愛し、イエス様が死と滅びと地獄から私を救ってくださり、牧師様も私を愛しているのに、どうして私は自分を愛していないのか。自分が自分を愛さなければならないのに、なぜ自分を愛していないのか。」 その時、私は何一つ言い訳をすることが できませんでした。
堕落した自分自身に対しこのように問いかけることができなければ、その人は本当にみじめな人です。正しい信仰生活をしたいと願うなら、堕落した自分にすぐに気づき、立ち返らなければなりません。それなのに、自分の堕落について悩まないのはなぜでしょうか。霊的に悩み苦しむほどの 苦痛を抱え、神と間違った関係を築いていながら、どうして自ら 悩み苦しまないのかと自問したことがありますか。
私たちは、最後の裁きの御座の前で、神のみことばにより私たちがこの世で 生きてきたとおりに裁きを受けることになります。この世で肉体を持って 生活している今、神のみことばに照らして、自分自身をまずチェックして みましょう。間違っているところを見つけたなら、すぐに悔い改めて、最後の裁きを免れなければなりません。
自分の過ちを悔い改めず、仕方なかったと言い訳する人は、本当に愚かな人です。 自分が犯した過ちを合理化し、美化しても、何の利益もありません。むしろ、自分をますます厚かましくおごった人にし、罪ゆえにますますだめになって いくだけです。そのように自分自身について言い訳をし、ごまかし続け、結局しかばねのようになってしまってはどうすることもできません。
私たちは、自分の過ちに気づいたら、絶対にそれを見過ごさず、徹底的に悔い改めて 悪い習慣を直さなければなりません。そのような人こそが自分を愛する人なのです。
ユン・ソクジョン担任牧師
教会新聞441号の記事です。