人間の精神の世界は本当にすごいものです。自分の頭の中に「私はこう生きなければ
ならない」という思いが人格の中に染み込むとそのまま生きていく。
信仰生活も、自分がどのように霊的生活をするべきかという思いが正しく確立され、
それが信仰により人格化された人は、簡単に堕落しない。
ところで、ある人は自分の置かれた環境のせいで信仰生活を諦める。しかし、私たちが
たとえ信仰生活をすることができない環境に置かれたとしても地獄よりは耐えられる
環境ではないか。
私たちはもっと心を強くしなければいけない。私のことを私よりも永遠によく知っておられる
神のみことばを最高の価値と知って、最後まで守らなければならない。私のことを私よりも
責任を取ることができ、私より深く愛してくださり、私を最期まで保護する絶対的な力を
持っておられる神さまの愛を受けようと決心しなければならない。
自分自身を愛そうとするなら、せいぜい、良い食べ物を食べて、良い服を着る程度であろう。
そのような方法で自分自身を最高に愛することができる。しかし、いくら自分自身を愛しても
迫って来る不幸を防ぐ力も、能力もない。自分を愛したくてもこれ以上は愛することができない
ということだ。
しかし、神さまが私たちを愛してくださるならば、肉の幸せはもちろん霊的な幸福までともに
享受することができる。これは、みことばとおりに生きる者に与えられる祝福なのです。
神が語られたすべてのみことばは、私たちが幸せになることを願っておられる。腐ってなく
なる地上のものばかりで生きないで、永遠に霊的なものを持って生きることを強く要求して
おられる。主の苦しみと死により、私たちに永遠の恵みを与えられ、その恵みを受けながら
生きなさいということだ。
主は永遠の渇きがない幸せを与えてくださるお方です。私たちが永遠に幸せな人生を
生きる最良の対策は、死ぬまで神さまの愛を受けることです。
/ユン·ソクジョン担任牧師
教会新聞391号(2014-06-28)から抜き書きしました。