牧会の初期に、聖徒たちの異言の祈りを解き明かししてみると、聖徒自身はまったくわからない
問題について祈ることを見た。御霊が話させてくださるとおりに、他國のことばで話しだす祈り
(新改訳、使徒2:4)が異言の祈りだ。
ですから、その祈りの中には、明日起こるかもしれない事故の危険を避けるように祈ったり、
将来迫って来るあらゆる環境的問題を解決してほしいという内容も入っている。
また、自分自身が犯しても忘れてしまった罪について、非常に切なく悔い改めることもある。
実際に異言をしている人は、自分が何の祈りをするのかまったくわからないが、聖霊は異言を
通して、神のみこころにふさわしい祈りの課題に自らを求めさせたのである。
「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいか
わからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのために
とりなしてくださいます。」(新改訳、ロマ8:26)
このみことばのように、御霊は、自ら私たちのために祈り求めるお方だ。また、御霊は私たちの
弱さを私たちが知って、それについて祈らせるように切に望んでおられる。聖霊は、権威と力に
満ちた三位一体の一位になる神であり、イエスが昇天しながら再臨の時まで、私たちと共に
いるよう、神がお遣わしになった方だ(新改訳、ヨハネ14:26)。
そのような聖霊が、私たちが祈ることを望んで、私たちを助けてくれることを切に望んでおられる
なら、これより大きな祈りの背景がどこにあるのか。ですから、私たちは、このような聖霊の
切ない心情を知って、弱い私の姿を完全にさらけ出し、神のみこころに叶うように祈ることに
全力を尽くさなければならない。
賢い人は、自分の力でできることと、できないことがすぐにわかる。自分の力ではできないという
判断が立つと、自分の弱さを認め、私のために祈ってくださる聖霊の助けによって祈ることで、
私たちは祈りに成功することができる。
/ユン·ソクジョン担任牧師
教会新聞387号(2014-05-24)から抜き書きしました。