神は、善悪の知識の木の実を食べて罪を犯したアダムに、「あなたは、どこにいるのか」
と呼ばれたのは、アダムに「罪をさらけ出しなさい」と、語り掛けたのである。罪をさらけ
出さなければ罪人であり、罪人は死ぬしかないので、生かしてくれるだれかの助けが必要な
存在です。
神は、アダムを助けようと呼ばれた。ですから、「あなたは、どこにいるのか」(新改訳、
創世記3:9)という御声は、神が人間に向かって語り掛けた、最も大いなる愛の表現である。
どころで、なぜ善悪の知識の木の実を食べたのかと、神が尋ねた時、アダムは「あなたが
私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです」
と、エバに罪を転嫁してしまった。(新改訳、創世記3:12)
しかし、罪は絶対に他人に転嫁されない。罪はただ、イエスが十字架で流された血の功績
のみにより、取り除くことができるのです。ところが、人間はみずから罪を解決して清くなり
たいと思う。アダムも、神が「あなたは、どこにいるのか」と呼んだ瞬間に、自分の罪を
転嫁しようと模索した結果、そのような言い訳を並べたのである。この世には、罪を打ち
明ける場所がない。ただ、カルバリの丘で十字架の苦しみを受けられ、私たちのために
死なれた主だけが、罪をさらけ出させて解決することができるお方です。
神がアダムに「あなたは善悪の知識の木の実を食べたのか」と尋ねた時、「食べるなと、
命じたあなたの戒めを守らないで、私は死にそうになっています。助けてください。」と
言っていたら、どんなに良かっただろうか?罪を他人に転嫁してはならないし、正直に
認め悔い改めなければならない。
「悔い改めなさい」という言葉は、罪を他人に転嫁することばではなく、「神の御前に罪を
さらけ出して、生きようとする意志を見せなさい」ということだ。何か過ちを犯したときに、
まず神の御前で認めなければならない。この地上で最も幸せな人は、「悔い改めなさい」
という、神の御前に罪をさらけ出す人です。
/ユン・ソクジョン担任牧師
教会新聞376号(2014-03-08)から抜き書きしました。