イエスは、人々の病を癒し、悪霊を追い出し、死者を生きかえらせました。これは、すべて魂を生かすためです。
イエスは神の御子です。ところが、神の御子は、自分が造った被造物である人間、罪の代価によって死ぬべきである人間を生かそうとして、あちこち引き回され、あらゆる侮辱を受けられました。頬を打たれ、蹴飛ばされ、鞭で打たれ、つばきを吐きかけられ、いばらの冠をかぶらせました。(マタイ27:26-30)
いくら考えても、神の御子がこのような苦難を受けることはありえません。力ある方が、あらゆるその苦難と侮辱をどのように耐え忍ぶことができたのか。
神の御子であるイエスは、私たちを生かすため十字架にかかって死に至るまで、自分を一度も主張しませんでした。ただ、天の父なる神のみこころのままに死なれました。人類の歴史上、神のみことばに一度も逆らわず生きた方は、イエス・キリストだけであられます。
イエスは、父なる神のみこころを十字架で成し遂げ、「わたしはあなたがたのために死んだ。この事実を信じなさい」と教えてくださいました。これが福音です。いまや、イエスを信じ、イエスと同じこころを持っている者は、永遠のいのちを得ることになります。
しかし、みこころを共に持っていない者は救われません。イエスを信じず地獄に行く人々を見ても伝道しないとしたら、主がどれだけこころを痛められるでしょうか?
ですから、伝道者は主を喜ばせます。神がひとり子をこの地に送られ、十字架にかけ、死なせた目的は、人類の魂の救いのためです。
私たちも、神の目的に同意し、この事実を伝えなければなりません。イエスが、自分のすべてを捨てて魂を救ってくださったので、私たちも命が終わるその日まで、魂の救いに力を尽くさなければなりません。それがまさに自分の魂を愛し、隣人の魂を愛し、神を愛する道です。
ユン・ソクジョン担任牧師
教会新聞373号(2014-02-15)より、抜き書きしました。