主は、父なる神の命令が永遠のいのちであると言われました。(ヨハネ12:49-50)。したがって、神が「行きなさい」と言われたら行き、「来なさい」と言われたら来る人が、永遠に生きる魂の時のために生きている人です。
職分は、神が「行きなさい」と言われたら行き、「来なさい」と言われたら来るという絶対的に従順する霊的な人にお与えになる務めです。
聖書の中の祝福された人たちは、一様に神が言われる時すぐに従いました。神がアブラムに、「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」(創世記12:1)と語られたときも、すぐに従いました。
今の時代ならおそらく神に問い返したでしょう。「神さま!これから神のみことばに聞き従うなら、どれだけよく暮らせるようにしてくださいますか?そして、私が行く所はどこですか?基本的に、この二つは教えていただけなければ、行くかどうか決められないのではないですか?」と。
しかし、アブラムは何も言わず、神の考えを命令として受け、神に自分自身を完全に委ね従順したので、年を取って子孫を望めない中でも、将来に大きな民族をなす祝福と地のすべての国の人たちが彼のゆえに祝福を受ける、祝福の源となりました。
神のみことばには、取捨選択する余地がありません。ただ「アーメン」と言い、従わなければなりません。「ささげものをささげなさい」と言われればささげ、「祈りなさい」と言われれば祈り、「忠誠しなさい」と言われれば忠誠し、「伝道しなさい」と言われれば伝道し、魂の時のために職分を果たす働きに、自分の肉身を使わなければなりません。神は、必ず行なったとおり報いてくださるお方であられます。
ご自分が言われたとおりに従順する職分者に、必ず責任を持つお方です。自分がどのような境遇や環境であっても、神のみことばに圧倒され、自分の考え、理論、知識を捨て、全能なる神のみことばに条件なしに服従する者こそ、神が責任を取られる職分者であり、魂の時を豊かに満たす賢い人なのです。
ユン・ソクジョン担任牧師
教会新聞410号(2014-11-15)から抜き書きしました。