【牧羊一念】純潔を守るイエスの花嫁
結婚式の祝辞が終わると結婚の誓約の時間があります。司式者が花嫁に聞きます。「あなたは楽しい時、悲しい時あるいは苦しみがあり死が迫ってくる時があるとしても、夫を愛し、尊敬し、夫婦として最後まで信頼しますか」その後、花嫁は、「はい」と答えます。
主の花嫁である私たちも、花婿であるイエス・キリストとの結婚の誓約をしっかり守るべきです。嬉しい時、悲しい時、病気の時、苦しむ時、あるいは死が迫ってくるとしても、信仰の道理を最後まで守り愛する心で花婿なる主イエス・キリストの再臨を待ち望むべきです。
終わりの時には、‘苦難の時代’が必ずやって来ます。この「苦難」は、人間が受け入れられるレベルのものではありません。思いがけない苦難が迫って来ても、これは花婿なる主が来られる日が迫っているという兆候であるので、主をもっと切に慕い待ち望むべきです。もし遅く来られるような気がしても、疲れず、あきらめず、最後まで主を待ち望むべきです。
そのためには、信仰生活を気まぐれにするのではなく、主のために、そして自分の 魂の時のために喜怒哀楽を神が一番喜ばれるように調節する必要があります。 もうちょっと我慢すれば主が来られるのに、最後の瞬間に我慢できなくて、惑わす霊によって負けてしまうなら、これほど残念で不幸なことはないでしょう。
マタイ3章12節には「手に箕を持って、ご自分の脱穀場を隅々掃ききよめられます。 麦を集めて倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます」としました。ふるいにかけ麦と殻を分けるように、終わりの時には花嫁の信仰を持つ者と信仰の純潔を破った者を区別するという言葉です。ですから私たちは気をしっかりし主が与える力により苦難の日を永遠なる喜びの日としなければなりません。
/ ユン・ソクジョン担任牧師
教会新聞<692号>記事です。