【牧羊一念】霊的な情け
以前、女子信徒が思い悩むことがあり、相談に来たことがあります。
「お義母さんは私が教会に通うことをとても嫌がっています。親不孝をしたくないので、お義母さんが亡くなってから、教会に行ってはいけませんか。姑に親孝行するのだから神も喜ぶでしょう。」
表向きは姑に対する情け深さがすごいように見えますが、これは肉から出た思いです。神が願われる情け深さは、お義母さんがいくら教会に行かせなくても、自分が先にイエスを信じて姑も救われ天国に行けるようにすることです。
それで次のように伝えました。
「これから姑が生きていく日々は、生きてきた日々より少ないでしょう。それなら、姑の気に入るようによくしてあげてイエスを信じるようにしなければなりません。お小遣いも差しあげて、美味しいものも買ってあげて、旅行も連れて行ってあげて、どうであれ姑の心が立ち返り、イエスを信じて救われるようにすることが本当の親孝行です。」
「お義母さんが嫌っているとして信仰生活から離れ、イエスを信じなければあなたもお義母さんも魂の時に滅ぼされるのではありませんか。使徒行伝16章31節に「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言っています。姑に霊的な情けを伝えてください。」
結局、その姑は嫁に伝道され教会に来てイエスを信じるようになりました。本当の情とは何で、本当の愛とは何でしょうか。最後までその魂が滅びないように責任を負うことです。
伝道は肉の思いではなく真の霊的な愛の表現です。肉の思いは制限すべきですが、魂を救うための愛には制限があってはなりません。制限のない情け、限りない神の愛でするのが伝道です。
「私たちは終わりの時に情けのない者ではなく、神の大いなる愛を制限なく伝えなければなりません。自分の生きている間、霊的な情けに満ちている伝道者となり、数多くの魂を生す者になるべきです。
/ ユン・ソクジョン担任牧師
教会新聞<741号>の記事です。