【牧羊一念] 神がお望みになる祈り】
信仰に生きる人であれば、日々、瞬間ごとに、答えを受け取りながら生活するのは 当然のことです。
ある人は、「神はすべてご存知なのだから祈らなくてもよい」と、このみことばを誤解します。 しかし、このみことばは、そのような意味ではありません。主は、「求めなさい」と言われました(マタイ7:7、ヨハネ14:14、ヨハネ15:7、ヨハネ16:24)。私に何が必要なのか、私よりも私を もっとよく知っておられる主に求めるとき、神は最も必要なものを私に与えてくださるという みことばです。
もし、私が求めるものと神がお望みになるものが違っていると、その祈りに対して最後まで 答えが返ってこない場合もあります。私たちが「神さま、これが絶対必要なので、どうしても ください」と祈っても、全知全能の神は、「いいえ、あなたにはあれが必要なのです」と おっしゃることもあります。
たとえば、ある罪を犯し、その罪のゆえに病気になった時、「神さま、この病気を癒して ください」と祈ったとしても、神は「その病気よりも先に解決すべき問題は、あなたの罪です。 あなたはまずその罪を悔い改めなさい」と言われます。私の必要なことを知っておられる 主に、私が正しく求めるように知恵を与えてくださいと祈らなければなりません。
神は私の必要なものをすべてご存じです。私たちは、「神よ、主の目で私自身を見ることが できるようにしてくださり、私に必要なものを正しく求めようにしてください」と祈らなければ なりません。祈りは、神の御心のままに求めれば与えられるという、確実な方法だからです。
聖書は、私たちに神のご意志を示しています。私たち人間の知識では絶対に悟ることは できません。聖書を記録した方が分からせてくださいます。人を感動させ、聖書を記録させた 聖霊が分かるようにしてくださいます(Ⅱテモテ3:16)。

ユン・ソクジョン担任牧師
教会新聞448号の記事です。





