神さまが伝道者として用いられるとき、その人の中に魂を生かそうとする情熱が
どれほどあるのかを見ておられる。私も説教するたびに、集まっているすべての
人が神のみこころに従って生きることができれば、私は説教しながら死んでも
いいという、主の心を抱いて命がけてみことばを宣べ伝えようとする。
主は罪によって地獄に行くべきである魂を生かす「魂の救い」を切に願われて
いるので、たとえ伝道者が福音を宣べ伝えながら死ぬとしても、聞く者は救われる
ことを望んでおられる。神さまは人類が一人残らず福音を聞いて救われ、永遠の
命を得て、燃え盛る地獄には絶対に行かないことを願っている。
しかし、もし福音を聞く者がこの切ない神のみこころを全く理解せず、ただ福音を
聞くだけであれば、これは神の心を引き裂き、無視する行為なのである。
聖書は、伝道者が切なる思いで、神のみことばどおりに教えたにもかかわらず、
聞く者が受け入れずに、その魂が滅んでしまうなら、これは聞いた人の責任で
あると語っている。
「次のような主のことばが私にあった。『人の子よ。あなたの民の者たちに告げて
言え。わたしが一つの国に剣を送るとき、その国の民は彼らの中からひとりを選び、
自分たちの見張り人とする。剣がその国に来るのを見たなら、彼は角笛を吹き鳴らし、
民に警告を与えなければならない。だれかが、角笛の音を聞いても警告を受けない
なら、剣が来て、その者を打ち取るとき、その血の責任はその者の頭上に帰する。
角笛の音を聞きながら、警告を受けなければ、その血の責任は彼自身に帰する。
しかし、警告を受けていれば、彼は自分のいのちを救う」
(新改訳、エぜキエル書33:1-5)
警告の角笛を吹き鳴らす見張り人のように、私たちは、主のみこころを持って隣人に
神のみことばをそのまま伝えなければならない。また、そのみことばを聞く者は
伝えられる神のみことばに従順しなければならない。
/ユン・ソクジョン担任牧師
教会新聞402号(2014-09-20)から抜き書きしました。