貧困がどれほどたいへんなのかを知っている人は、貧しい人の心情を理解し、
何とか助けてあげようとする。飢えに苦しむことがどんなに辛いかを知っている
人は、一杯のご飯でも食べさせて空腹を満たしてあげようとする。
同様に、私たちの肉体が終わる日、イエスを信じていない魂が受ける地獄の刑罰の
苦しみがどれだけ惨めかを知っている人は、熱心に福音を伝えるようになっている。
このように、滅んでいく魂を生かそうとする意志さえあれば、誰でも伝道することが
できる。福音は、言葉が通じるか通じないかは別として伝えずにはいられない。
どれくらい魂を愛しているのかによって伝道の力が現れる。
ところで、もし教会を建てられた主のみこころと教会の精神が異なっていたり、
主のみこころと人にイエスを宣べ伝える私たちのこころが異なっているなら、
主がどれほど心を痛めておられるだろうか。私たちは神に「あなたと私のこころが
一致している!魂を生かそうとする一心だ」と、認められなければならない。
「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それに
よって 私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、
いのちを捨てるべきです」(新改訳、1ヨハネ3:16)
このような魂を愛するこころを持って滅びていく魂を生かすべきである。
神はご自分のみこころを独り子に与えてこの世に送ったのに、その独り子である
御子が神から与えられたみこころを振り切って十字架からおりてきたならば、神の
ご計画に大きな狂いが生じただろう。
ところで、御子であるイエスは、父親が与えられたみこころをそのまま持って十字架に
かかって死なれた。それから、この地に聖霊を送られ、主と同じこころを持つ教会を
建てられた。初代教会も、神の御子と同じ救霊の情熱によって伝道した。私たちも、
キリストのみこころに満たされて出会うすべての人がイエスに会うことができるように
伝道しなければならない。
/ユン・ソクジョン担任牧師
教会新聞403号(2014-09-27)から抜き書きしました