牧羊一念

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[牧羊一念] 花嫁の信仰と主の愛

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  • 11.11.2014 12:29

子どもの頃、うちの村の近所に、酔っ払いの男がいた。彼は泥酔状態になるまで

お酒をんで、泥の中に埋もれる事が多くあった。そんな時、近所の人々は、

「また、埋もれた!」と舌打ちしながら呆れるだけで、誰もその泥に入って助け

出してやろうとはしなかった。

 

ただ、そのの家に行って、彼の妻に、「あなたの夫がまた泥の中に落ちて

いる」と告げるだけだった。その話を聞いての妻は、急いで自分の夫が

いる泥の中へ駆けつけた。そして自分の全身が泥にまみれになろうがなるまいが

なく、夫を家に連れて帰った。

 

その妻の心の中には自分が泥の中に落ちようと、どうしようと、夫をその泥の中から

助け出し、連れて愛の力があるのだ。誰かを愛したら、その力が湧き出る。

愛はこのように隠すことができなくなり、現れるものだ。

 

主は私たちを花嫁にし、自ら私たちの花婿となられた。愛はどのような品格をも

崩し、どんなでも乗り越える。主と私たちの関係を考えたとき、創造主と

被造物の関係なので、お互いの品格が合わないのに、どうやって愛する関係に

なることができるだろうか?それでも主は、ご自分のからだを引き裂かれ、

その血によって、私たちの罪を贖い、私たちを愛し、ご自分の嫁にしてくれた。

 

と新婦はお互いに惜しむもののない間柄だ。新と新婦はお互いに愛して

いるので二人でいれば、うらやむことがない。

私が主の新婦なら新である主だけいれば十分だ。終わりの時に、主は花婿を

慕い待ち望んでいる花嫁を迎えにられる

 

愛は学んで行うものではない。主に愛された人は、その内に主を愛するこころを

抱いている。ですから、新を待っている新婦は新の働きなら、すべてのこと、

すなわち命さえも惜しまずさし出すほど新を愛する。

 

私たちに、主に向かう愛がなければ、主の前に立つとき、喜んでことが

できない。愛せずに花嫁として花婿である主に喜んでうことができない

主の前に立つ日、光ある最高の喜びで出いを望むなら、主を愛する

花嫁にならなければならない。

 


/
ユンソクジョン担任牧師

教会新聞397(2014-08-09)から抜き書きしました。

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