職分を任せられ忠誠する者の中で、礼拝をおろそかにささげる人々が見受けられるので、残念に思う。義務的に礼拝に出席したり、疲れたという理由で礼拝時間に居眠りしたり、職分遂行を口実に礼拝時間に遅れて入って来る人たちのことである。
礼拝に成功することができない職分者は、訓練を受けずに戦争に出る兵士に似ている。指揮官が下す指示も受けず、所属もなく、勝手に出陣して戦うのと同じことである。教会で霊的なリーダーになるには、まず職分者自身が礼拝に勝利しなければならない。
モーセがカナンの地に、偵察のために12人を送ったとき、10人はすでに心で敗北した。しかし、ヨシュアとカレブは、信仰によって勝利した。神は誰彼かまわず先頭にお立てにならない。
精神的、霊的、環境的に世に勝ち、不可能、現実、自分の肉の欲求に打ち勝った者を先頭に立てられる。大きな働きを預かる最高の霊的なリーダーは、戦いに勝つ者である。
神はヨシュアをリーダーとして立てるとき、カナンの地を偵察するように言って送り、まず彼を十分に試し、彼の信仰を確認したうえで民族を任せられた。
よって、私たちはこう祈らなければならない。「私は主だけに頼り、霊的に勝利しますので、私に何でもお任せください!」 自分の霊的生活で勝利するとき、他の魂にも仕えることができ、主の働きに心から忠誠することができる。
説教を聞くときは「アーメン」でも、実際に現実にぶつかると、肉の欲求、驕り、面子、自分の義が湧き上がり、負けることが多い。それをそのまま放っておくと、一生信仰生活を悩ませる敵となって、霊的生活を妨害する。今年一年間の自分の霊的生活をチェックしながら、2014年の働きを顧みて、来たる2015年を迎えなければならない。
ユン・ソクジョン担任牧師
教会新聞412号(2014-11-29)から抜き書きしました。