第IIテモテ2章1節に記録されたこのみことばは、十字架にはりつけられ血を流して死に、復活して人類を救うキリストとなられたイエスこそ、まさに恵みであり、この恵みだけは絶対に奪われてはならないという意味である。
言い換えれば、イエス·キリストの恵みが自分自身の内で成し遂げられたなら、これからは罪と自分と世に勝つほど強くなりなさいということである。したがって、恵みによって強められた者は、自分が犯した罪ゆえに恵みが汚れないよう、神が与えてくださった恵みを傷付けないよう、恵みを保有し続ける。
「すべてのことについて感謝しなさい」(テサロニケ5:18)というみことばは、すべてのことについてあなたの中に恵みがあるという事実を確認し、保ち続けなさいという、真の望みである。神の恵みを受けた人は、自分が受けた恵みの分量を知り、悟ることによって、その恵みが自分を完全に征服し支配するように、その恵みを保ち続ける。
このような人は、絶え間なく迫りくる堕落したこの世の物質文明や文化の洪水の中でも、自分が受けた恵みを保ち続ける。世に対抗して戦うときには退かず、血を流すまで戦いながらも勝とうとする。その恵みゆえに命や物質など
生涯のすべてを投げ出すことができる。
しかし、恵みの内に強くなれなければ、恵みを受けたとしても感動が少なく、その恵みを守れず、すぐに奪われる。そのような人たちは、人に会いたくないので教会へ行きたくない、気分や感情が傷ついたから教会へ行かないなどと言い訳をする。このような人は、口では恵みを受けたと言いながら、実際には恵みを受けたことがない人なのである。
恵みの内に満たされている人は、恵みの外に出ていかない。恵みを受けたら、絶対その恵みを逃さず最後まで保ち、その恵みの内により強くなければならない。それでこそ、信仰を証すことができる。
ユン・ソクジョン担任牧師
教会新聞419号(2015-01-17)より抜粋しました。