血の復讐と仕返し
私たちの戦いは、血肉に対するものではなく、悪しき霊に対するものであり、
真の復讐をなさる神の力を認めるべきです。
<写真の説明> 現在も、荒野で昔ながらの暮らしを守って生きていくベドウィン族。
「これらは、すべてのイスラエル人、および、彼らの間の在留異国人のために設けられた町々で、すべて、あやまって人を殺した者が、そこに逃げ込むためである。会衆の前に立たないうちに、血の復讐をする者の手によって死ぬことがないためである」(ヨシュア20:9)。
ユダヤの荒れ野にまばらに暮らしているベドウィン族は、安全を常に心配していた。もし強盗が家に入ったら、だれも知らないうちに襲撃されるしかないからである。いくら声を出し叫んだとしても、聞く人もなく、電話のような通信機器もないので、一人でそのまま襲われるしかないのだ。
ところが、ベドウィン族の数千年の歴史の中で、強盗に襲われた者は極めて少ないと言われている。ここには、誰もが彼らを襲撃できない理由がある。いわゆる「血の復讐」なのだ。つまり、誰もがベドウィン族を襲撃し、いのちと財産に被害を与えると、被害者、張本人あるいは次の世代のベドウィンが死に至るまで、加害者を見つけ出し復讐するからである。
もし、自分が死ぬときまで復讐できなかったら、子に復讐を遺言として必ず残すという彼らの伝統があるので、あえてベドウィン族を襲撃する者がいなかったのだ。
「血の復讐」を知っている人たちがあえてベドウィン族を殺したり、攻撃することができるでしょうか?このようなことから、聖書のアブラムが甥ロトを救出した事がらも考える必要がある。
「彼らはまた、アブラムのおいのロトとその財産をも奪い去った。ロトはソドムに住んでいた。ひとりの逃亡者が、ヘブル人アブラムのところに来て、そのことを告げた。アブラムはエモリ人マムレの樫の木のところに住んでいた。マムレはエシュコルとアネルの親類で、彼らはアブラムと盟約を結んでいた。アブラムは自分の親類の者がとりこになったことを聞き、彼の家で生まれたしもべども三百十八人を召集して、ダンまで追跡した。夜になって、彼と奴隷たちは、彼らに向かって展開し、彼らを打ち破り、ダマスコの北にあるホバまで彼らを追跡した。そして、彼はすべての財産を取り戻し、また親類の者ロトとその財産、それにまた、女たちや人々をも取り戻した。」(創14:12-16)
血の復讐に関する実話がある。愛する娘を嫁がせるため、結婚式のときに着る礼服を買ったベドウィン人の父親がいた。この礼服を買った理由は、礼服を売っている商人が商品を宣伝しようと、毛の素材の礼服にマッチの火を付けても燃えなかったことを確認し、高いお金を払って、娘のために礼服を買ったのである。いよいよ花嫁の父親は結婚式の当日、花婿の親の前で、礼服を誇ろうと、商人と同じ様に毛の礼服にマッチの火を付けると、瞬く間に火がついて、娘は焼け死んでしまった。
娘を失った父親は悲しみのあまり、娘の仕返しのために商人を探しに旅に出た。父親は復讐しようという一念で、家族はもちろん、生活さえも投げ捨て、全国を隅々まで探し回った。しかし、仕返しはできないまま亡くなった。父親は遺言として、息子に礼服を売った商人を探し出し、必ず復讐することを頼んだのだ。息子は数十年ぶりに礼服の商人を見つけ、妹と同じく毛の着物に火をつけて燃やして殺したそうだ。
誰でも敵を愛し、その人を許すことは難しいが、ベドウィン族は特にそのようだ。
しかし、神は復讐のことをいつも警戒された。
「復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である」(レビ19:18)
そして、そのことを神ご自身に任せるよう何度も繰り返えて語られた。
「復讐と報いとは、わたしのもの、それは、彼らの足がよろめくときのため。彼らのわざわいの日は近く、来るべきことが、すみやかに来るからだ。」(申32:35)
「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。
』」(ロマ12:19)
「私たちは、「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする。」、また、「主がその民をさばかれる。」と言われる方を知っています。」(へブル10:30)
イエス·キリストも、血の復讐にまつわる誤解を解こうと、こう言われた。
「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5:44)
実際の敵は、人と人との間では発生しない。人間どうしは愛する関係だ。人と人との間を引き離し、神と人との関係を引き離す悪魔が、私たちの本当の敵であることを忘れないようにしましょう。
「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ6:12)
教会新聞416号(2014-12-27)から抜き書きしました。